おお姉よ!

小学三年生の「みわわ」こと佐藤美和と妹を熱愛する姉、強子の物語。妹の美和が天才にして超変人である姉の重度のシスコンに悩まされる、という顛末を、ドタバタ・コメディータッチで書いた。

  15

 ファンファンファンファン――

 変な音で目が覚めた。

 眩い光に思わず目を細める。

 UFO!?

 今度こそ、正体を暴いてやる!

 私は息巻いてベッドから立ち上がろうとした。

 が。光はすぐにパッ、パッ、パッと点滅して距離を伸ばしていった。

 光は学校の裏山まで消えていった。

「あっそうだ、強子姉!」

 私は隣の部屋に行った。

「強子姉がいない!」

 まだ病気完全回復してないのに。

「裏山にいるかも!」

 私はパジャマのまま、素足でサンダルを履き、家を飛び出した。

 服を気にしている時間などない!

 裏山まで百メートル。それから山登り。

 百メートル真っ直ぐ進んで右に曲がる。ここで山の下のほうで、光っているところはもっと登頂のほうだ。

 五十分くらいで頂きまで行ける小さな山だ。

 私は、ずんずん進んだ。

 滑りそうになったり、転びそうになったりした。山だから気をつけた。強子姉の宇宙人疑惑を晴らす前に自分が死んだら、元も子もない。

 あと半分。

 私は光を目指して一生懸命に登った。

 登った登った、その先に。

「え?」

 そこにあったのは、ダンボール。

 その中に、大量のランプ。

「光の正体はこれ……?」

 草の音を掻き分けて出てきたのは、

「強子姉……。やっぱり強子姉が宇宙人だったの?」

「みわわ、騙されてる~。宇宙人がいると思わせるように私が細工したのよ~」

「え……」

 私は言葉をなくした。

「本当のことを話すね」

 ゴクリと息を呑む。

「宇宙人は、いない」

「いない……? 私を騙してたってこと? そういや、さっき強子姉が騙されてるって、はっきり言ったよね?」

「そう。私がダンボールの中にラジコンを入れて、みわわの部屋まで飛ばして、電気を点けたり消したりした。つまり、ニセの宇宙船。先回りして裏山へ行った。予想通り、みわわは来た」

「そんな……」

 そんなカラクリ。

「なんで、そんなことしたの?」

 私は絶望感に襲われた。

「それはね、私がシスコンだったからなのよ」

「だから何?」

「シスコンを直せって、お父さんにもお母さんにも、先生にも友達にも言われてねぇ。学校でも、みわわの友達に混ざるでしょ~。家でもお父さんやお母さんより、みわわ優先にしてたし~。それがまずくて、みわわに私は宇宙人だと思わせて嫌われようと思ったの」

「そうだったの……。シスコンってこと、自覚してないと思ってた」

「でも、やっぱりできなかった。せめて変な人と思われて関心を持たれるほうが好かれるよりマシだ、と判断したの。好かれたらまたべったりしてしまうから」

「そんなことで思い悩んでたの?」

 もはや苦笑するしかない。

「シスコンのお姉ちゃんがいても困らないよ」

「本当?」

 強子姉が顔を輝かせる。

「うん。ちょっと困る時もあるけど、たまになら、ベタベタしてもいいんじゃない?」

 強子姉の涙が地面に落ちる。

「泣かなくてもいいじゃん」

「だって嬉しすぎて」

「強子姉は、いっつもいっつも一緒にいてくれたじゃない」

「夜遅いし、もう帰ろうか」

 私が切り出すと

「そうだね。悪いけどみわわ、荷物持ってくれな~い? お姉ちゃんの細腕には、とても持ちきれないの~」

「……運んできたんだよね? じゃあ、持って帰れるんじゃない?」

「いいじゃ~ん持って~。私宇宙船に潰される~」

「はいはい。全く、口だけは減らないんだから」

 私は謎が解明してほっと胸を撫で下ろした。

 叢から何かが飛び出した。

「ほっとしたときにビクってさせないでよ、強子姉」

「みわわ、ちょっと静かにして」

「え、なんで?」

 振り返って見たものは。

「クマ!? こんな山に出るの!?

「いい。クマに遭遇したときは、死んだフリじゃなく、目を見ながら後退するのよ」

「わかった」

 私と強子姉は、じりじりと後退した。

 強子姉が前に出て私を後ろに庇う。

 熊が飛びかかった

「強子姉!」

 私の悲痛な喚き声が木霊した。

「私なら大丈夫。早く下がりながら小走りになりなさい」

「強子姉ほっといて逃げるわけにはいかないでしょ!」

「みわわ。よく聞きなさい。ここで二人で熊に襲われて死ぬか、一人が先に山から出て人を助けに呼びに行くか。この山の中じゃケータイの電波も届かない。だったら、みわわが先に山を降りて助けを求めるほうがいいでしょ」

「でも……」

「いいから行きなさい!」

 ピシャリと言われたのは生まれて初めてだ。

 私は強子姉の気迫に負けて、熊の目を見ながら後じさり、見えなくなったら一気に山を駆け下りた。

 急げ、急げ、急げ――。

 走れメロスを思い出す。

「あっ」

 石にけつまづいて派手にこけた。

 靴が吹っ飛んだ。脳震盪を起こしたかのように、頭がふらふらする。

 今の私には痛いという感覚すら存在してなかった。

 ただ、強子姉を一人にしてしまった自分を恨んで。

 なんであんなタイミングで熊が出るのか。

 最悪の偶然が重なったとしか思えない。

 なんとかケータイが通じないかと走りながら見るけど、ケータイの電波がまったく通じない。

 これだから、田舎は。

「ちくしょー」

 私は半泣きで涙も洟水も垂らしっぱなしで自宅へ戻る。

「お父さんお母さん、早く救急車と警察呼んで!」

「なによ、みわわ、こんな時間まで起きてたの。早く寝なさい」

「それどころじゃないって!」

 私はじれったくって、自宅の電話から警察と救急車を呼んだ。

 なんでこんなときに田舎に住んでいるのだろう。

 警察は五分以内に駆けつけるが、救急車が来られるのが十分以上は掛かる。

 それまで、強子姉が一人で頑張れるとは思わない。

 今は一秒でも惜しい。

 効かないかもしれないけど催涙スプレーと殺虫剤と鋸を持って再び山へ向かう。

 何もないよりましだ。

 足がもう限界だか、それでも弱音を吐いてはいられない。

 私は山へ入ると、熊と出くわさないように警戒レベルを自分の中のマックスまで高めた。

 さっきのところを目指す。

 強子姉が自分の二倍はあろうかという熊と戦っているのだ。

 強子姉がいた! さっきと位置があまり変わっていない。変わっているのは姉の姿だ。

 姉は血まみれになりながら、熊にしがみついていた。

「みわわ……、村の人……、よ、呼んできて……くれた?」

 息もするのもきつい状態だ。

 肋骨がえぐられて血が流れ出ている。

「もうやめて! 強子姉!」

「私が……私が守るから。強子姉は、私が守る!」

 熊が上から、があーっと倒れてきた。

 とっさに強子姉は私を庇った。

「強子姉!」

 涙で強子姉の顔がぼやける。

「なにやってんの、強子姉。バカじゃないの!? なんで私なんか庇うのよ。強子姉のほうが、世間に貢献できる人間でしょう! 頭もいいし、可愛いし、モデル並みの体型だし。私なんか、ただのブスだよ。世間様から見たら、みんな私より強子姉のほうに生きて欲しいと思ってるよ」

「そんな…こと…ない……よ……」

 息も切れ切れだ。

「強子姉、死なないで。私を置いていかないで。もふもふ、いくらしたっていいよ。豚とか肉とか、言ってもいいよ。だから、ね。死なないで。死んじゃだめだってば」

「ごめ……ね……。みわわ、大好き」

 それから息する音が聞こえない。

 私は催涙スプレーを熊に向けて噴射したあと、強子姉をかついでおりた。

 警察が先に到着した。

 警察の人が強子姉を見て、ぎょっとする。

「何があったんだい? 早く止血しないと」

「だが、まだ救急車が到着してない」

 私も見られ、

「君はどう? 怪我してないの?」

「私は……大丈夫です」

「大丈夫じゃないよ。擦り傷に切り傷がある。まあ、お姉ちゃんに比べたら軽傷だけど」

 辺りは依然、静かだ。

 警察のサイレンで、裏山でなにかあったかご近所さんに知られたかもしれない。

 野次馬が増えるかも。頭の片端で忘れていた両親にも連絡をした。二人とも私たちにあまり興味がないのか、留守電にメッセージ残すくらいしかできなかった。

 数分の遅れで、救急車が到着した。

 救急隊員は強子姉を見て、わからない専門用語を出し、布を巻いて一番出血のひどい場所から手当していった。

 私は強子姉の付き添いで救急車に乗った。

 二台目の救急車も必要かと話し合った結果だ。

 私は軽傷もいいところだったから、すぐ強子姉と一緒に近くの病院(遠い)まで搬送される状況になった。

 私は救急車の中で、ずっと強子姉の名前を呼んだ。

 強子姉は目を覚まさない。

 やがて一番近い大学病院の救命救急センターに入り、強子姉はすぐオペ室にストレッチャーで運ばれていった。

 私は外科で簡単な処置を受けた。

「お姉ちゃん助かるから、心配しないで」

 だが、全ては暗闇に閉ざされた。

 手術室から先生が出てきて、

「できる限り精一杯、治療に専念したのですが、残念ながら……」

「嘘よ、嘘! 強子姉が私を置いて死ぬわけないじゃない! まだ十二歳だよ? 未来はたくさんあったのに」

 涙が出なくなるまで泣くと、私は死にたくなった。

 なんだ。甘えていたのは強子姉じゃなくて、私のほうだったんだ。

 私は悲しみを、怒りを、どこにぶつけていいのかわからず、壁に向かって力任せに叩いた。

 壁はコンクリートだから、びくともしない。

 遅れて両親がやってきた。

「ちょっとみわわ、あなたの手が怪我するわ」

「強子姉の痛みは、もっと凄かったのよ! この腕が折れたって、私はどうってことない!」

   13

『小学三年生 文集より 佐藤美和

 私の姉は、なんでもできる、すごい人です。将来の夢は、姉のような人になることです。

 姉は人を笑わかすのがとても上手で、私と違って誰からも好かれるし、私の憧れです。

 姉は、いつもにこにこ元気で、滅多に風邪を引きません。姉と比較されるのは嫌だけど、自慢の姉です。』

 お姉ちゃん、私お姉ちゃんみたいになれるように勉強もスポーツも、いっぱいする。それから、いっぱい強子姉みたいな、人から愛される人になる。


 ――強子姉、ありがとう。

 私が天国へ行くまで、ちょっと待っててね。

――完――

 

 すまなそうな顔をした。手で「ごめん」と謝られる。

 親に謝られたら何も言えない。

「わかった。でも、私が帰宅してからじゃ遅いから、学校に行く時でいい?」

「授業は……まあいいか。お姉ちゃんに教えてもらえばいいしな」

 私は力強く首肯した。

 診察代も貰って私は自分の部屋に戻った。

 かかりつけの土白内科は九時からしか診察してないから、それまで仮眠を摂ることにした。

 目覚まし時計を八時半にセットして寝る。

   13

 目覚まし時計が鳴り、うるさいなと妙な疲労感を残したまま起きた。

 それから、ゆっくり思い出した。

「強子姉! 病院行くよ!」

 強子姉の部屋に入ると、強子姉はまだ寝ていた。

 体きついのに私には心配させないように、から元気を振り撒いていたのかな。

「ほら、強子姉、起きて。病院行くよ」

「あ、みわわだ~。病院に行ったら注射されな~い?」

 もし強子姉が犬だったら、眉を下げてクーンと鳴いて、尻尾を巻いているだろう。

 つまりは、情けない顔。

「それは、わかんないよ。強子姉の病気次第だよ。悪かったら注射されるし、軽かったら診察だけで終わるよ」

 まだ、この歳になって、注射を怖がるか。

 小学校低年ならまだしも。

 私は姉と土白病院にタクシーで行った。タクシー代も父持ちだ。強子姉は歩ける状態じゃないから、特別に貰った。

 受付で体温計を預かる。

「皆勤賞、なくなった~。せっかく六年と数ヶ月も頑張ってきたのに~」

 強子姉は悔しそうに言う。

 温度計は三十八度だった。

 三番目に呼ばれると、診察室に入った。入口はカーテンを閉めていた。

 強子姉が椅子に座り、私は後ろで立っていた。

「佐藤さん、具合はどうですか?」

 先生はゆっくり喋った。人の良さそうな顔をしている。

「ちょっと怠いですけど、それだけです」

「インフルエンザでもないのにねぇ。二日も高熱が続くと、入院したほうがいいかもねぇ」

「嫌です」

 強子姉は即答した。強子姉は病気と名前が付くところは嫌いだ。

 歯医者も、皮膚科も、呼吸器科も、胃腸内科も、肛門科も、耳鼻科も、とにかく全部が「痛い」と言って、連れて行こうとしたら激しく抵抗する。

「解熱剤また貰ったら効きます」

「でもねぇ。佐藤さん、まだ十二歳でしょう。子供だから、抵抗力が、あまりないんだよ。風邪こじらせて肺炎になったら大変でしょう」

「みわわがいるから、大丈夫」

 強子姉は意味不明なセリフを吐く。

「妹さんに頼って、どうするんですか。あなたお姉ちゃんでしょう。立場が逆ですよ」

 土白先生が諭す。人の良さそうな顔は崩れない。

 私は、これ以上は話し合っても無駄だと感じて適当に会話に割り込んだ。

「すみません、解熱剤と、もっと強い風邪薬ください。もう治ると思います。何かあったらすぐに連絡致します」

「よくできた妹さんだねぇ。お姉ちゃんのほうが妹みたいだねぇ」

「よく言われます」

 私と強子姉が同時に言った。私は頭を掻きながら。強子姉は、自信満々に。

 声が揃ったあと、私は強子姉のセリフにツッコミを入れた。

「偉そうに言うことじゃないでしょう。強子姉、少しは反省してよ」

「あ、肝心な話を忘れていた。点滴だけ受けて帰ってもらうわけにはいかないかね?」

「点滴くらいなら……」

「嫌だ!」

 確固たる意志を持って強子姉が叫ぶ。

「点滴はどのくらい掛かります?」

「一回、一時間かな」

 安心して、と笑顔のままだ。

 私も土白先生のかかりつけだが、いつも優しい。

「分かりました。では、点滴お願いします」

「みわわひどーい。勝手に話を進めて~。お姉ちゃんが注射嫌いなの、知ってるでしょー」

 強子姉はプンプン怒る。

「この病院の看護師さん、注射を打つの、上手なんだよ」

「本当? みわわが痛みに鈍感なだけじゃない?」

 失礼な。

 強子姉はうるめで見上げてくる。その手に乗らないぞ。

「ほら、診察室から出るよ」

 強子姉がすぐに呼ばれて点滴の準備がされていた。診察室の奥にベッドがいくつか並んでいて、強子姉は寝かされた。

「強子ちゃんは妹さんと仲良くていいわね。私のうちなんか、兄弟ゲンカが絶えなかったけど」

 点滴の先の針を持ち、アルコールの染みたコットンで強子姉の腕を拭きながら、当時を思い出したのか自重する。

 強子姉は綿で拭かれてから諦め悪く腕を引っ込めては、看護師さんに腕を引っ張られる、を繰り返していた。

「そうなんですか。みわわが優しいからケンカしたこと、みわわが生まれてから一度もないですよ」

「そんなに仲いいの。あ、針が入りましたよ」

「え?」

 強子姉自分の腕を見て信じられない顔をする。

「いつ打ったんですか?」

「会話の最中。強子姉は話に夢中になりすぎだよ」

「確かに、みわわの言う通り、注射は痛くなかった」

「案外そんなもんだよ。看護師さん、点滴、どのくらい掛かります?」

「一時間くらいかな」

「分かりました。それまで強子姉のそばにいます」

「それじゃ、失礼しますね。ここでゆっくりしてってね、美和ちゃん」

「はい。どうもありがとうございました」

 私は頭を下げて見送ると、強子姉のベッドに行った。

 強子姉は三つあるベッドのうち、真ん中のベッドに寝かされていた。

「強子姉、寝る子は育つ、っていうじゃない? だから、早く寝て、点滴が終わるころには幾分か楽になってるよ」

「うん。ねえみわわ、お姉ちゃんの手、握ってて」

 強子姉が細くて白い腕を私の手に絡ませた。

 一人じゃ心許ないのか。

 甘えんぼだな。強子姉のほうが歳上なのにね。

 私はクスッと笑って

「わかった」

 十分しないうちに強子姉は寝てしまった。

 はてさて、私は暇になった。かかりつけの医院なので家から近いのだが、なんだか強子姉のそばにいてあげたいと思った。

 私もシスコンかな。強子姉が乗り移ったか。自嘲する。

 私も疲れたのか、寝ていた。

 昨日の今日だ。つきっきりの看護のせいで眠い。

「ほら、起きなさい、みわわ、強子」

 お母さんだ。

「病院から電話が掛かってきてね。二人とも寝てるから来てくれって。母さんパートしてるから、こんな時間にしか迎えに来られなかったけど」

 それでも時計は五時だった。

「診察時間ギリギリだね」

 私が焦っていう。

「そうよ。だからバイト切り上げてきたのよ。まったく、みわわ、もっとしっかりしてると思っていたのにね」

 期待を裏切られたわ、と言外に愚痴っている。

「ごめんなさい」

「でも、しかたないか。みわわ、まだ小学三年生だもんね。九歳でここまでできたら大したものね。強子の世話、大変だったでしょう。今日はもう家に帰ったら、すぐお風呂に入って寝なさい」

「うん」

 口にできたのは一言だけだった。ショックは隠せなかった。

 母の言葉が何度も頭の中をよぎる。

『もっとしっかりしてると思ってたのにね』

 私を打ちのめすのに十分な言葉だった。

 初めて死んでしまいたいと思った。

 病院から車で帰る途中だった。

 なんでだろう、母の言葉が刺さって抜けない。

 家に帰りついても、まだ私は浮上できないでいた。

 部屋で一人で泣いていると、扉が開いた。

 私は顔を背けた。

「みわわ~。病院付き添ってくれてありがとうね~」

 あんたのせいで私が怒られちゃったじゃない、と責任転嫁して睨むと、何か腕に感触があった。

 疑問に思って強子姉を見上げると、強子姉は泣いていた。声を殺して。

「みわわ、ごめんね。私のせいで傷ついたんでしょ。お姉ちゃん、謝るわ」

「強子姉に謝られても困るよ」

「みわわが泣くなんて、よっぽどのことがない限り、ないでしょう」

 普段は鈍感のくせに、こういうときだけ敏感なんだから。

「一晩泣いたら、戻るから、気にしないで」

「嘘つき。本当は心の奥まで刺が刺さっててぬけないくらい痛いのを我慢するくせに」

「そんなことな……」

 いよ、と続けようとしたら、姉が私を後ろから抱き締めた。

「無理しなくていいんだよ。お父さんもお母さんも働いてるから、なかなかみわわのこと知らないけど、お姉ちゃんはいつも、みわわの九割は知ってるから。全部わかってるなんて、おごったことは言わない。でも、忘れないでいて。みわわは、お姉ちゃんの大事な妹よ」

 病院で言われた話なんか嘘だ。

『お姉ちゃんのほうが妹みたいだねぇ』

 本当は逆だ。

『お姉ちゃんのほうが、妹よりずっと大人だね』

 強子姉に抱き締められていると涙が止まらなかった。

「強子姉、余計涙でるからやめて」

「みわわったら~ん。可愛~んだから~ん」

「もう、やめてってば~」

「みわわー、お風呂が湧いたわよー」

 母が一階から大きな声で呼ぶ。

「はーい」

 涙声の返事だったが、母は気づかないだろう。

「ほら、行っといで」

 私を離して、同じ涙声の強子姉が

「ありがとう、強子姉。――それから、強子姉まだ病気が治ってないのに、心配を掛けて、ごめん」

「気にしてないよ。私の可愛いみわわだもの。みわわに何かあったら私が守ってあげなくちゃ」

 私は力強く頷くとパジャマと下着を持って一階のお風呂場に行った。

   14

 翌朝の七時。

「強子姉、熱は?」

 私は姉のベッドの前に立っていた。

「あ! 熱が下がってる!」

 ようやく強子姉の体温が三十七度八分になった。

「だけど、まだ微熱があるから、安静にしてなきゃね」

「微熱なら、みわわと学校行きたいな~」

 上目使いで懇願してくる。手は組んでいて、お願―いのポーズをする。

「ダメ。ぶり返すから」

「みわわ、ひど~い」

 強子姉の優しさが見えたら、これまでとは何か違うと思えた。

「私はね、強子姉の体が心配で言ってるの」

「わかってるわ~ん」

 強子姉はちょうど布団を体に巻きつけて変な動きをしているから、イモムシみたいにクネクネして見えた。

   11

 私は教室に入ると真っ直ぐに珠理ちゃんの机に行った。遥ちゃんもいた。

「珠理ちゃん遥ちゃん、おはよー」

「おはよー! 強子さん、病気治った?」

 珠理ちゃんが曇った顔で訊いてきた。身を乗り出して訊いてくるあたり、すごく心配しているのだと思えた。

「うん、治った。完全回復とはいかないけどね」

「学校には来てるの?」

 遥ちゃん安心したのか、ほっとした表情で私に訊く。

「来てないよ。今朝も微熱があったから、あと一日か二日は掛かるかな」

「そっかー。強子さんと遊ぶの楽しみだから、早く治ってほしーなー」

 珠理ちゃんも遥ちゃんも残念そうな顔をする。

「そんな、ただの風邪なんだから、あまり心配しないで。だいたい、強子姉といて、楽しい?」

 いぶかって二人に訊く。珠理ちゃんは

「うん。この前も面白かったじゃない。汲み取り便所に落ちたし。強子さん絶対、天然だよ」

 それは認める。

 遥ちゃんは

「それに勉強も教えてもらえるし」

 それも認める。

「なんか、みわわ、笑顔になってる」

 珠理ちゃんも笑顔になっている。

「いつもなら、強子さんの話すると不機嫌になるのに、今日は嬉しそう」

 遥ちゃんも

「なにかあったんじゃない?」

「なんにもないよ~」

 照れてしまう。

「やっぱり。何かあったんだ」

「もう、実の姉の話なんかしても楽しくないでしょ」

 顔がヒートアップしてくるのがわかる。

「強子さんが、みわわに好きな人の情報を教えてくれたとか?」

 顔を覗き込むように訊いてくる。尋問されている気分だ。

「好きな人とかいないし」

「じゃあー」

「もうやめて、強子姉の話は」

「あれ、やっぱり元に戻ってる?」

 ドアの開かる音がして、

「ほら、先生が来たから、自分の机に行くから」
 私は逃げた。

 お父さんが強子姉の机の上にポカリと薬と体温計を残してくれたようだった。

「病院は行ったの?」

「うん。一応。でもただの風邪だから解熱剤と風邪薬が出たくらい」

「そう。って強子姉! 熱下がってないじゃない! まだ四十度あるよ」

「おかしいね~。解熱剤飲んだのに」

「ちょっとはおとなしくしなよ。熱あるんだから」

「えー? 気分はハイになってるよ~」

「あのねぇ、熱はね、微熱のときがきつくて、三十八度のときが体のだるさはあるもののハイになるもんなの。強子姉の場合四十度なんだから、もっと気をつけないと」

 私が子供を叱る母親のように言うと強子姉はやっとおとなしくなった。

「みわわ、お姉ちゃんのことバカだと思ってるの~? そんなこと知ってるわよ~」

「だったらなぜ言うこときいてくれないの?」

「みわわのことが好きだから~」

 満面の笑顔で言う。

「言ってることとやってることが違ってるんですケド」

「気にしない~。豚ぁ~」

「ナメてんの?」

 ギロっと私が睨むと

「きゃあ肉が怖い~」

 人をおちょくっているようにしか見えない。

「もうもふもふさせてやんない」

 腕を組んで強子姉と反対側を向く。

「いや~ん。みわわ、こっち向いて~。お姉ちゃんが悪かったわ~」

「おとなしくしてるって、約束できる?」

「できる~」

「絶対?」

 語気を強めていう。

「絶対」

 私を見据えて、目に力を込めていう。

 約束よ、と指きりげんまんをした。

 強子姉は疲れたのか、すぐに寝た。

 やはり熱があるから。

 強子姉の寝顔を見る。

 黙っていれば、可愛いお人形さんみたいなんだけど。

 私は強子姉の部屋を出て、ハンドタオルとお風呂場から洗面器を持ってきた。

 洗面器に水を入れてハンドタオルを浸す。

 強子姉の部屋を、今度はノックしないで、そっと入った。

 私の気配で強子姉は起きなかった。スヤスヤ眠っている。深い眠りのようだ。

 私は安心して、濡れたハンドタオルを強子姉の額に置いた。

「み~わ~わ~」

 強子姉の寝言に思わず笑みがこぼれた。

 まったく、どんな夢を見ているのやら。

   11

 次の朝、私は起こされた。

「なあに、お母さ――」

「みわわ~、起きたのね~」

 強子姉にガシッと掴まれる。

 強子姉は有頂天になっている。なぜだ。

「ちょ、なに、どうなってんの?」

 私は母に起こされたのだと思っていたけれど。

「みわわ~。私のみ~わ~わ~。一晩中ずーーっと看護してくれたのね~」

 強子姉は満面の笑みを浮かべた。ギューッと私を抱きしめて離さない。

 なるほど。私が看病したことに喜んでくれていたのか。看病のしがいがあった。

「強子姉、元気だね。風邪は治ったの?」

「う、うん……」

 一気に元気がなくなった。私から離れ、暗い顔になる。

「体温を測って」

 わたしが厳しく言うと、叱られた子犬のような顔をして言う通りにした。

 体温計を見ると、三十九度八分。

「ちょっと強子姉、大丈夫!?

「だいじょうぶだぴょーん」

 Vサインまで付ける。

「病院、もう一回、行こう。今、何時?」

 ピンク色の壁に掛かっている時計は、五時半を指していた。

「うそ! 学校、行き忘れた!」

「みわわ可愛い~。朝の五時半だよ」

「ああ、朝ね」

 強子姉みたいな言動をしてしまった。

「お父さん六時に起きるから、そのとき相談してみようね」

「みわわが優し~い~」

 くびれを作る運動のように、左右に体を振って喜び? を表現している。

「いつも優しいの間違いでしょ」

「うふふ~。そうだね~」

 ノリがなんか、酔っ払ったおじさんっぽい。

「ふぁ~。眠い……。あ、いつの間にか水がぬるくなってる! 替えてこなきゃ」

「ありがとう。行ってらっしゃい~」

 ベッドの中から強子姉が手を振る。

 水を替えていると、強子姉の部屋から咳が聞こえた。

 強子姉、きついのに無理してる。

 私に心配を掛けないように?

 強子姉が、わからない。

 六時になって一階へ向かった。

 寝起きの父に

「ねぇお父さん、強子姉、熱下がってないよ」

 父は信じられないという顔をした。

「何? 解熱剤を飲ませたのにか? そういや、みわわ、お姉ちゃんの部屋で寝てたね。起こしたら悪いと思って起こさなかったけど。風邪、移らなかった?」

「私は大丈夫。今日も病院に連れて行ったほうがいいよ」

「そうだな。今日はみわわが帰宅したら、かかりつけの土白内科に連れてってやってくれないか。今日は会議があるんだ」

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