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 ――そろーり、そろーり。

 抜き足、差し足、忍び足。

 私、佐藤美和は、ただいま取り込み中でございます。

 どこまでも広がる緑の景色の中にある我が家は、少しの音でも響いてしまうのです。

 そういう理由で、自宅の壁伝いに、玄関へ近づいた。

 白い無機質な壁を、傾きかけていた夕日が紅に染めていく。

 ――もう少しだ。

 私はドアの前に辿り着くと、一度ぴたっと静止し、深呼吸して息を潜めた。それからドアに、ぴったりと耳を付ける。

 この寒い冬の外気に曝されて冷たくなった壁はひんやりと冷たく、全身が総毛立つ。

 ――よし。アレ(アレとは異常に妹に懐く、いわばシスコンの姉の佐藤強子のことだ)はいない。私が小学三年生で強子は三つ年上の小学六年生だ。

 私はドアの向こうに気配を感じなかったので、鍵を差し込んだ。

 だが、ここで気を抜いてはいけない。カチャという音がしようものなら、必ずアレが現れる。

 それだけは回避せねば。

 私は声を殺して「おっしゃー!」と気合を入れ直すと、慎重に鍵を回した。

 ――成功、成功。うまく開いた。

 私は片開きドアを三十度ほど開けて、隙間から家の中を除いた。

 私は玄関までアレがやってくる気配がないので素早く玄関に滑り込むと、靴を脱いだ。

 ――今のうち。

 私が家にあがろうと床に足を伸ばした時だった。

 ぐいっ。

 私は何者かに腕を掴まれ、引っ張られた挙句、強制的に後ろに向けさせたれた。

 そこには長い髪をした女がいて……。

「ぎゃー、出たー!」

 私は思わず大音声で叫んだ。

 続いて私の頭、背中、腕、ひいては足にまで何か生温かいものがピタリと張り付いている不気味な感触が伝わってきた。

 まさか靴箱に隠れているとは。自分の詰めの甘さに、思わず舌打ちしてしまう。

「もー、人をお化けか何かみたいに言わないでよ、美~和~わ~」

 甘くクセのないソプラノの声。

 わたしにとっては悔しいことこの上ないが、毛嫌いしている私にまで素敵だと思わせる魅力的な声を、聞き間違えるはずがない。

「だーっ! 人にまとわりつくな、クソ姉貴!」

 私は家にいる間中、姉にくっつかれる。

 もうだいぶ成長したのに、強子姉ときたら、

「一緒にお風呂に入ろーよー、美~和~わ~」

 とだだをこねる幼児のように、眉尻を下げて目を潤ませながら懇願してくる。

 私が我が家に帰るのを厭う理由は、強子姉がシスコンだから、だけではない。

 強子姉は変、だからだ。

 パリコレに出られるスタイルと身長を持ったところや、ココナッツ・ブラウンの自毛や、アイドルをはるかに凌駕している風貌のことではない。

 問題なのは、その素行だ。

 強子姉の行動は、人間のなせる技でないことが、時折あるのだ。

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「お姉ちゃん、妹思いね」

 ご近所(といっても隣の家は五百メートルくらい離れている)さんたちからよく言われる言葉だ。

「ねぇ美和わ~、手ぇ繋いで歩こ?」

 なぜ私が強子姉に「みわわ」と呼ばれているかというと、私が三歳の時自分の名前を

「さとうみわ」まで平仮名で書いたらしいのだが、なぜか最後に「わ」の文字を足したらしく、強子姉の記憶に残っていたから「みわわ」と呼ぶことにしたから。