すまなそうな顔をした。手で「ごめん」と謝られる。

 親に謝られたら何も言えない。

「わかった。でも、私が帰宅してからじゃ遅いから、学校に行く時でいい?」

「授業は……まあいいか。お姉ちゃんに教えてもらえばいいしな」

 私は力強く首肯した。

 診察代も貰って私は自分の部屋に戻った。

 かかりつけの土白内科は九時からしか診察してないから、それまで仮眠を摂ることにした。

 目覚まし時計を八時半にセットして寝る。

   13

 目覚まし時計が鳴り、うるさいなと妙な疲労感を残したまま起きた。

 それから、ゆっくり思い出した。

「強子姉! 病院行くよ!」

 強子姉の部屋に入ると、強子姉はまだ寝ていた。

 体きついのに私には心配させないように、から元気を振り撒いていたのかな。

「ほら、強子姉、起きて。病院行くよ」

「あ、みわわだ~。病院に行ったら注射されな~い?」

 もし強子姉が犬だったら、眉を下げてクーンと鳴いて、尻尾を巻いているだろう。

 つまりは、情けない顔。

「それは、わかんないよ。強子姉の病気次第だよ。悪かったら注射されるし、軽かったら診察だけで終わるよ」

 まだ、この歳になって、注射を怖がるか。

 小学校低年ならまだしも。

 私は姉と土白病院にタクシーで行った。タクシー代も父持ちだ。強子姉は歩ける状態じゃないから、特別に貰った。

 受付で体温計を預かる。

「皆勤賞、なくなった~。せっかく六年と数ヶ月も頑張ってきたのに~」

 強子姉は悔しそうに言う。

 温度計は三十八度だった。

 三番目に呼ばれると、診察室に入った。入口はカーテンを閉めていた。

 強子姉が椅子に座り、私は後ろで立っていた。

「佐藤さん、具合はどうですか?」

 先生はゆっくり喋った。人の良さそうな顔をしている。

「ちょっと怠いですけど、それだけです」

「インフルエンザでもないのにねぇ。二日も高熱が続くと、入院したほうがいいかもねぇ」

「嫌です」

 強子姉は即答した。強子姉は病気と名前が付くところは嫌いだ。

 歯医者も、皮膚科も、呼吸器科も、胃腸内科も、肛門科も、耳鼻科も、とにかく全部が「痛い」と言って、連れて行こうとしたら激しく抵抗する。

「解熱剤また貰ったら効きます」

「でもねぇ。佐藤さん、まだ十二歳でしょう。子供だから、抵抗力が、あまりないんだよ。風邪こじらせて肺炎になったら大変でしょう」

「みわわがいるから、大丈夫」

 強子姉は意味不明なセリフを吐く。

「妹さんに頼って、どうするんですか。あなたお姉ちゃんでしょう。立場が逆ですよ」

 土白先生が諭す。人の良さそうな顔は崩れない。

 私は、これ以上は話し合っても無駄だと感じて適当に会話に割り込んだ。

「すみません、解熱剤と、もっと強い風邪薬ください。もう治ると思います。何かあったらすぐに連絡致します」

「よくできた妹さんだねぇ。お姉ちゃんのほうが妹みたいだねぇ」

「よく言われます」

 私と強子姉が同時に言った。私は頭を掻きながら。強子姉は、自信満々に。

 声が揃ったあと、私は強子姉のセリフにツッコミを入れた。

「偉そうに言うことじゃないでしょう。強子姉、少しは反省してよ」

「あ、肝心な話を忘れていた。点滴だけ受けて帰ってもらうわけにはいかないかね?」

「点滴くらいなら……」

「嫌だ!」

 確固たる意志を持って強子姉が叫ぶ。

「点滴はどのくらい掛かります?」

「一回、一時間かな」

 安心して、と笑顔のままだ。

 私も土白先生のかかりつけだが、いつも優しい。

「分かりました。では、点滴お願いします」

「みわわひどーい。勝手に話を進めて~。お姉ちゃんが注射嫌いなの、知ってるでしょー」

 強子姉はプンプン怒る。

「この病院の看護師さん、注射を打つの、上手なんだよ」

「本当? みわわが痛みに鈍感なだけじゃない?」

 失礼な。

 強子姉はうるめで見上げてくる。その手に乗らないぞ。

「ほら、診察室から出るよ」

 強子姉がすぐに呼ばれて点滴の準備がされていた。診察室の奥にベッドがいくつか並んでいて、強子姉は寝かされた。

「強子ちゃんは妹さんと仲良くていいわね。私のうちなんか、兄弟ゲンカが絶えなかったけど」

 点滴の先の針を持ち、アルコールの染みたコットンで強子姉の腕を拭きながら、当時を思い出したのか自重する。

 強子姉は綿で拭かれてから諦め悪く腕を引っ込めては、看護師さんに腕を引っ張られる、を繰り返していた。

「そうなんですか。みわわが優しいからケンカしたこと、みわわが生まれてから一度もないですよ」

「そんなに仲いいの。あ、針が入りましたよ」

「え?」

 強子姉自分の腕を見て信じられない顔をする。

「いつ打ったんですか?」

「会話の最中。強子姉は話に夢中になりすぎだよ」

「確かに、みわわの言う通り、注射は痛くなかった」

「案外そんなもんだよ。看護師さん、点滴、どのくらい掛かります?」

「一時間くらいかな」

「分かりました。それまで強子姉のそばにいます」

「それじゃ、失礼しますね。ここでゆっくりしてってね、美和ちゃん」

「はい。どうもありがとうございました」

 私は頭を下げて見送ると、強子姉のベッドに行った。

 強子姉は三つあるベッドのうち、真ん中のベッドに寝かされていた。

「強子姉、寝る子は育つ、っていうじゃない? だから、早く寝て、点滴が終わるころには幾分か楽になってるよ」

「うん。ねえみわわ、お姉ちゃんの手、握ってて」

 強子姉が細くて白い腕を私の手に絡ませた。

 一人じゃ心許ないのか。

 甘えんぼだな。強子姉のほうが歳上なのにね。

 私はクスッと笑って

「わかった」

 十分しないうちに強子姉は寝てしまった。

 はてさて、私は暇になった。かかりつけの医院なので家から近いのだが、なんだか強子姉のそばにいてあげたいと思った。

 私もシスコンかな。強子姉が乗り移ったか。自嘲する。

 私も疲れたのか、寝ていた。

 昨日の今日だ。つきっきりの看護のせいで眠い。

「ほら、起きなさい、みわわ、強子」

 お母さんだ。

「病院から電話が掛かってきてね。二人とも寝てるから来てくれって。母さんパートしてるから、こんな時間にしか迎えに来られなかったけど」

 それでも時計は五時だった。

「診察時間ギリギリだね」

 私が焦っていう。

「そうよ。だからバイト切り上げてきたのよ。まったく、みわわ、もっとしっかりしてると思っていたのにね」

 期待を裏切られたわ、と言外に愚痴っている。

「ごめんなさい」

「でも、しかたないか。みわわ、まだ小学三年生だもんね。九歳でここまでできたら大したものね。強子の世話、大変だったでしょう。今日はもう家に帰ったら、すぐお風呂に入って寝なさい」

「うん」

 口にできたのは一言だけだった。ショックは隠せなかった。

 母の言葉が何度も頭の中をよぎる。

『もっとしっかりしてると思ってたのにね』

 私を打ちのめすのに十分な言葉だった。

 初めて死んでしまいたいと思った。

 病院から車で帰る途中だった。

 なんでだろう、母の言葉が刺さって抜けない。

 家に帰りついても、まだ私は浮上できないでいた。

 部屋で一人で泣いていると、扉が開いた。

 私は顔を背けた。

「みわわ~。病院付き添ってくれてありがとうね~」

 あんたのせいで私が怒られちゃったじゃない、と責任転嫁して睨むと、何か腕に感触があった。

 疑問に思って強子姉を見上げると、強子姉は泣いていた。声を殺して。

「みわわ、ごめんね。私のせいで傷ついたんでしょ。お姉ちゃん、謝るわ」

「強子姉に謝られても困るよ」

「みわわが泣くなんて、よっぽどのことがない限り、ないでしょう」

 普段は鈍感のくせに、こういうときだけ敏感なんだから。

「一晩泣いたら、戻るから、気にしないで」

「嘘つき。本当は心の奥まで刺が刺さっててぬけないくらい痛いのを我慢するくせに」

「そんなことな……」

 いよ、と続けようとしたら、姉が私を後ろから抱き締めた。

「無理しなくていいんだよ。お父さんもお母さんも働いてるから、なかなかみわわのこと知らないけど、お姉ちゃんはいつも、みわわの九割は知ってるから。全部わかってるなんて、おごったことは言わない。でも、忘れないでいて。みわわは、お姉ちゃんの大事な妹よ」

 病院で言われた話なんか嘘だ。

『お姉ちゃんのほうが妹みたいだねぇ』

 本当は逆だ。

『お姉ちゃんのほうが、妹よりずっと大人だね』

 強子姉に抱き締められていると涙が止まらなかった。

「強子姉、余計涙でるからやめて」

「みわわったら~ん。可愛~んだから~ん」

「もう、やめてってば~」

「みわわー、お風呂が湧いたわよー」

 母が一階から大きな声で呼ぶ。

「はーい」

 涙声の返事だったが、母は気づかないだろう。

「ほら、行っといで」

 私を離して、同じ涙声の強子姉が

「ありがとう、強子姉。――それから、強子姉まだ病気が治ってないのに、心配を掛けて、ごめん」

「気にしてないよ。私の可愛いみわわだもの。みわわに何かあったら私が守ってあげなくちゃ」

 私は力強く頷くとパジャマと下着を持って一階のお風呂場に行った。

   14

 翌朝の七時。

「強子姉、熱は?」

 私は姉のベッドの前に立っていた。

「あ! 熱が下がってる!」

 ようやく強子姉の体温が三十七度八分になった。

「だけど、まだ微熱があるから、安静にしてなきゃね」

「微熱なら、みわわと学校行きたいな~」

 上目使いで懇願してくる。手は組んでいて、お願―いのポーズをする。

「ダメ。ぶり返すから」

「みわわ、ひど~い」

 強子姉の優しさが見えたら、これまでとは何か違うと思えた。

「私はね、強子姉の体が心配で言ってるの」

「わかってるわ~ん」

 強子姉はちょうど布団を体に巻きつけて変な動きをしているから、イモムシみたいにクネクネして見えた。

   11

 私は教室に入ると真っ直ぐに珠理ちゃんの机に行った。遥ちゃんもいた。

「珠理ちゃん遥ちゃん、おはよー」

「おはよー! 強子さん、病気治った?」

 珠理ちゃんが曇った顔で訊いてきた。身を乗り出して訊いてくるあたり、すごく心配しているのだと思えた。

「うん、治った。完全回復とはいかないけどね」

「学校には来てるの?」

 遥ちゃん安心したのか、ほっとした表情で私に訊く。

「来てないよ。今朝も微熱があったから、あと一日か二日は掛かるかな」

「そっかー。強子さんと遊ぶの楽しみだから、早く治ってほしーなー」

 珠理ちゃんも遥ちゃんも残念そうな顔をする。

「そんな、ただの風邪なんだから、あまり心配しないで。だいたい、強子姉といて、楽しい?」

 いぶかって二人に訊く。珠理ちゃんは

「うん。この前も面白かったじゃない。汲み取り便所に落ちたし。強子さん絶対、天然だよ」

 それは認める。

 遥ちゃんは

「それに勉強も教えてもらえるし」

 それも認める。

「なんか、みわわ、笑顔になってる」

 珠理ちゃんも笑顔になっている。

「いつもなら、強子さんの話すると不機嫌になるのに、今日は嬉しそう」

 遥ちゃんも

「なにかあったんじゃない?」

「なんにもないよ~」

 照れてしまう。

「やっぱり。何かあったんだ」

「もう、実の姉の話なんかしても楽しくないでしょ」

 顔がヒートアップしてくるのがわかる。

「強子さんが、みわわに好きな人の情報を教えてくれたとか?」

 顔を覗き込むように訊いてくる。尋問されている気分だ。

「好きな人とかいないし」

「じゃあー」

「もうやめて、強子姉の話は」

「あれ、やっぱり元に戻ってる?」

 ドアの開かる音がして、

「ほら、先生が来たから、自分の机に行くから」
 私は逃げた。